芥に須弥を納る(かいに しゅみを いる)

小説『三体』でわからなかった言葉

是真正的须弥于芥子的境界

三体・死神永生

(まさに須弥を芥子に入れるの境地だ)

須弥は須弥山のことですが、「山を芥子に入れる」とはどういう言い回しなのか。

佛门和世俗社会是相通的,就像芥子和须弥山可以互相包容一样。芥为蔬菜,子如粟粒,佛家以“芥子”比喻极为微小。须弥山原为印度神话中的山名,后为佛教所用,指帝释天、四大天王等居所,其高八万四千由旬,佛家以“须弥山”比喻极为巨大。唐代白居易的《白氏长庆集·三教论衡·问僧》中,有这么一段问话:“问:《维摩经·不可思议品》云芥子纳须弥,须弥至大至高,芥子至微至小,岂可芥子之内入得须弥山乎?”

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仏門と世俗は互いに関係がある。それはまるで芥子と須弥山がお互いを包み込めるのと同じようである。
芥子(からしの種)は粒の小さな野菜で仏教家は”芥子”を小さなものの比喩に使う。
“須弥山”はインドの神話に由来する山の名前であり、のちに仏教では帝释天を指し四天王の住処であるとされた。仏教家は”須弥山”を非常に大きなものの喩えに使う。
唐代、白居易の《白氏長慶集・三教論衡・僧問》の中に、このような段落がある。
“问:《維摩経・不可思議品》芥子の中に须弥を入れると云う,须弥はとても高く大きい,芥子はとても小さい,いったいどうやって芥子の中に須弥を入れられるのか?”

日本語ではこのように書くそうです。
芥に須弥を納る(かいに しゅみを いる)

片方はとても小さく片方はとても大きいが、それでもお互いを内包している。大きな山に芥子を入れられるように、小さな芥子の中に山を納めることもできる。
『三体・死神永生』では四次元の泡の中で見られる、ある点から無限に詳細を引き出せる現象の比喩として使われていました。

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