映画『ギヴァー 記憶を注ぐ者』小説とは話の筋が違うのが残念

映画『ギヴァー 記憶を注ぐ者』はロイス・ローリーのヤングアダルト小説『The Giver』を映画化したもの。

ジェフ・ブリッジス、テイラー・スウィフト、メリル・ストリープなど錚々たるキャストでの映像化で期待していた。
原作は文句なしの傑作だが「近未来風おとぎ話」でそのうえオチが次回作に持ち越される形式だったので、映画化は難しいのではないかと思っていたがやっぱりもう一つだった。
仕方ないのかもしれないが、ストーリーが映画向けに変わっているのが残念だ。
しかし原作の描写をうまく映像化していたのと、ジョーナスが境界を超えた後のコミュニティーの様子を見れたのはよかった。
(原作ではジョーナスが逃避した後コミュニティーがどうなったかほとんど描かれていないので)

たぶん映画の中で完結するためにストーリーを変えたのだと思うが、話の筋が随分違うのが気になる。
私は小説のほうが面白かった。映画でコミュニティーの世界観が気に入った人は小説も楽しめると思う。
オチ無しなのは小説も一緒だけれども、2作目『ギャザリング・ブルー』ではジョーナスの<先を見通す力>も発揮される。

小説とちがうところ

フィオナとアッシャー

映画ではフィオナがヒロインになっているが、小説ではただの友達だ。
ジョーナスはフィオナの事を優しくて可愛いと思っているし、異性を意識するきっかけになる。しかし薬を服用するようになり、彼女への感情も消えてしまう。
また原作ではフィオナは老人ケア施設に配属され、映画のようにゲイブを助けるために協力しない。

映画のアッシャーはパイロットになり、最後にジョーナスを逃がす。
しかし小説ではレクリエーション担当になる。配属後ジョーナスとの関わりはほとんど無くなる。

ジョーナスとゲイブの特徴

映画ではジョーナスとゲイブは同じところに痣がある、ということになっている。
原作で2人に共通するのは目の色が青いことである。コミュニティーの人間は濃い色の目の人が多くて青い目は珍しい。ただコミュニティーには色がないのでジョーナスやゲイブはただ変わった目だと思われている。
この設定は映画の主役の目の色に合わせて変えたのか、序盤の白黒映像で「目の色が似ている」ということが表現しにくいから変えたのか、それにしても「同じところに痣」という特徴にした意図が解らない。

逃亡

映画ではゲイブが<解放>されると言う話を聞いたジョーナスがゲイブを養育施設から連れ去る、その際に警備員に追いかけられたりアッシャーを殴ったりする。
そして逃亡の途中で飛行機に乗ったアッシャーに見つけられるが助けられる。
原作ではジョーナスは記憶を選ばれた者が持つのではなく市民で共有すべきだという意志をもって境界を越えようとする。
逃亡の準備を進めていた所、ゲイブが<解放>されると言う話を聞いて急遽計画を変更し家に居たゲイブを連れてこっそり逃げる。
捜索の飛行機がしばらく飛ぶが、そのうち来なくなる。

元老院

映画ではジョーナスと元老院は敵対し、元老院の主席はジョーナスを殺そうとする。
しかし小説ではまったくそういうことはない。
そもそも原作では<記憶を注ぐ者>や<記憶の器>が<解放>されるとその記憶は市民たちに戻るという設定になっており、ローズマリーが死んだあとは一部の記憶が市民に戻りコミュニティーは激しく混乱した。
だから元老院は記憶を持つものを絶対に死なせたくないのだ。
ジョーナスが逃げた後、コミュニティーは捜索を始めるが結局見つけられないまま終わる。

こう書いてみると小説のほうが事件がなくてつまらなそうだが、『The Giver』は『The Giver Quartet』(4部作)の1作目で、すべての始まりである。
カテゴリとしては児童書なのでそれほど深い話では無いのだけれど、「人と違うこと、違いを認めあうこと」について考えさせられる作品だ。

3作目と4作目は日本語翻訳版がまだ無い。英語版はKindleでまとめ買いできる。

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