すごいサスペンス映画:アイデンティティー

久しぶりに凄い映画をみた。

『“アイデンティティー”』(原題:Identity)は、2003年製作のアメリカ映画。ジェームズ・マンゴールド監督のサスペンス。

アメリカでは2003年4月25日に公開され、週末興行成績で初登場1位になり、トップ10内に5週間いた。日本では同年10月25日にニュー東宝シネマ系列で公開された。

アイデンティティー (映画) – Wikipedia

ストーリー

豪雨のためにあちこちの道が水没する中、1軒のモーテルに集まる10人の客が訪れる。
無線も通じないなかで、客たちは一人また一人と惨殺される。
一方、別の場所では死刑を直前に控えた殺人犯の再審理が行われていた。
2つの物語が一つに繋がった時、想像を絶する衝撃のラストが待っていた!

ネタバレを含む感想

結末の意外さ、そして不思議なほどの矛盾のなさに衝撃を受けた作品。

ある意味で夢オチなので、人によってはこういう話は好きではないかもしれない。
しかしこの映画は理不尽な夢オチではなく、随所にヒントが隠されていて急展開があっても「そういうことか!」と納得できるのがすごい。

私は最後まで見たあと、そのままもう1回視聴した。
そしてもう一度驚いた。
ティミーは最初から母親を殺そうとしていた。
彼は路肩に立っていた母親を、道路側の窓を叩いて道路側に立たせている。そして窓越しに母親と手を合わせたあと後ろに後退る。母親は奥にいった子をよく見ようとして(あるいは単に手を合わせたのと同じように子供と同じ行動をしたのかもしれない)一歩後ろに下がったところを車に轢かれる。
自分が窓から離れれば母親も窓から離れることを知っていて、車が来るタイミングを狙って母親を轢かせたのだ。

なぜモーテルに集まった人たちは同じ誕生日だったのか。そして全員の名前が州に因んだものだったのか

それは彼らがマルコムの作り出した人格だから。

モーテルで起きる殺人は何なのか

医師がマルコムの治療をしている。その治療とは”複数の人格を同じ場所に集め退治させる。その中で起きる衝突を経て人格の数を減らす。”というものだ。
医師は善良でタフなエドの人格を生き残らせるのが最善と考えたのだろう。エドの人格を励まし、エドの手によって殺人者の人格を消そうとする。
モーテルはその複数の人格を集める場所であり、モーテルで起きる殺人は人格の消滅である。
死体が消えてしまうのはそれが実体のない死だからだ。

なぜティミーの人格は殺人を犯すのか

ティミーは虐待を受けていた。マルコムは幼年期に虐待を受けたことが原因で人格が分裂し殺人を犯している。
ティミーも普段はおとなしい少年であり、殺人は彼の別の人格が行うのだろう。

なぜ医師はティミーが殺人を犯した人格だと気が付かなかったのか

ティミーは話ができない。だからティミーが殺人を告白することはない。
再審理のメンバーは他の人格の言葉を頼りにそれぞれの人格が消滅したかどうかを判断している。
モーテルのシーンでティミーが主眼のシーンは最後までなく、再審理の間ティミーは何も話さなかったのだろう。
ジニーとティミーが死んだと思われたときには死体がなかった。しかしそれ以前に死んだ者たちの死体も消えていたので、この点は見落とされていた。
そして凶悪なロードの人格が死んだとき、医師は殺人犯の人格が死んだと判断したのだろう。

ティミーの”幼少期に受けた虐待が原因で殺人を犯してしまう”という人格は実はマルコムそのものである。
人格を次々に消していって最後にティミーが残るのは当然という気がしなくもない。

最後にティミーの声でマルコムが子供の頃に作った詩が呟かれる。

階段を登っていたら また会った
姿のない人に そこにはいない人に
どうか僕の前から消えてくれ

きっとティミーの中にも恐ろしい別の人格がいるのだ。

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